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思いに執(とら)われると、思いの縛りにあうと
ちょっと邪魔されるんですね。
純粋に感謝に戻ったときは、本当の感謝に
スッと神さまの力で引き入れてもらうんですね、
感謝の心にスッとね。でも「思い」というのが
ちょっと曲者なんですね。ちょっとでも
「自分の思い通りに」というとね、
もう神さまは遠慮してしまうのね、人の自由は
絶対に縛れないんですね。ほんのちょっとですよ、
ちょっと思い通りにしたいというだけでね
「そうしなさい」というのね、先に。
そうすると神さまは引っ込んでしまうのね。
でも、これが逆になるといいんですね、
どれだけ思いがあっても「自分は感謝一筋に生きたい!」
というふうに、もう真剣に感謝を前面に出せばいいんですね。
「私はもう感謝だけでいい」というふうにね、
ここが絞り込むというんですけど。
「感謝一筋に絞り込む」という、
感謝だけに絞り込む心になると神様が働けるんです。
だから、無限の思いがあってもいいんですね。
みんなの思いをぜんぶ背負ってもいいんですね。
無限の無限の思いがあっても大丈夫なんですね。
絞り込めば「ありがとうございます」に絞り込めば、
神さまが人の自由意思を縛らずに働けるんですね。
だからスッと助けに入るんですね。